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「翼」第5号:宇部興産物語


宇部興産物語

開通当初は、一両の大型トレーラー。1985年からはトリプルストレーラーに。 車両維持や道路補修の面から今はダブルストレーラーを走らせています。 開通当初は、一両の大型トレーラー。
1985年からはトリプルストレーラーに。
車両維持や道路補修の面から今は
ダブルストレーラーを走らせています。

総延長31.94km「宇部興産専用道路」

この写真は、1975年に全面開通した当時の「宇部興産専用道路」で、舟木インターチェンジ付近になります。伊佐の良質な石灰石を宇部のセメント工場に運ぶために建設されました。この物流手段については、ベルトコンベヤーや鉄道も検討されていましたが、中安社長(当時)が「100年先ま でを想定した」と道路案を選択。その建設コスト高から、社内外から異論はあったものの、多目的に利用でき美祢地区の地域振興にも寄与できるとして、その意思を貫きました。建設の具体化から約8年後、総工費200億円、総延長31.94kmの日本で一番長い私道が誕生しました。

こぼれ話

建設図面で指揮をとる中安社長 (昭和45年当時) 建設図面で指揮をとる中安社長
(昭和45年当時)

宇部興産専用道路を利用して運ばれる、伊佐鉱山の石灰石。当初(昭和20年代)は、専用の引込線を敷設し、国鉄美祢線による鉄道輸送で行われていました。ところが昭和30年代に入ると、セメントの需要が増え、その原料である石灰石の利用量も拡大。鉄道輸送のみでは生産に間に合わずトラック輸送を併用するも、鉄道はストライキ、トラック輸送は道路渋滞により、必要な石灰石を安定的に宇部の工場に運ぶことが出来ませんでした。そこで当時の中安社長が、将来に備えた抜本的な解決が必要であると、石灰石の輸送方法を自前で用意することを決断。思い描いた案が、(1)ベルトコンベアー (2)鉄道 (3)道路 の3つでした。いずれが良いのか、社内スタッフがこれらをつぶさに検討。その結果を丁寧に聞いた中安が出した結論が、最も経済性を備えていない(3)の道路でした。これには、社内は猛反対、株主からも「止めてくれ」、銀行からは「一私企業の手に負えるものではない」との声が集まりました。そうした社内外の意見に耳を傾けながらも、中安の決意は固く、「ベルトコンベアーは経済性では最も有利であるが、貨物の種類が限定され、大型機材の輸送には役立たない。鉄道は、国鉄と競合する。よって、多目的に利用でき、美祢の地域振興にも寄与する道路が一番良い。道路建設で取れる粘土や硅石はセメントの原料に利用できる」と道路建設を指揮。美祢と宇部を結ぶ高速道路の建設計画がスタートしました。名神高速道路が完成し、東名高速道路は工事中、中国自動車道に至っては計画中といった頃に出した、中安のこの決断。彼の思いの奥底はどのようなものだったのでしょうか。全面開通からまもなく40年、社内における物流の大動脈「宇部興産専用道路」は、休むことなくその機能を発揮しています。

担当者から一言

今回も楽しく、宇部興産の歴史書を読みました。会社の中の、私の「席」で分厚い本を開いていると、近隣から声を掛けられます。「はい、面白いですよ」そう答える私。大人になった今だから、先人の思いが知りたくなります。ずっしり重い書物を手にしながら、1枚ずつ頁をめくるこの感覚。良いですわ。
(担当:ペンネーム 人生を掛けた夢)