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深センを見ずに中国を語るなという話(1) - CHINA -

No.500/2019.08
化学カンパニー・ナイロン営業部/ 若本 卓視
画:クロイワ カズ

深セン市ビル街の写真を友人に見せたら、ほとんどの人が「ニューヨーク(NY)ですか」と言うでしょう。それは、私が以前NYに駐在していたことを知っているからかもしれません。が、現実の深センは、NYよりも東京よりもはるかに近代的な都市です。いや、未来都市と呼ぶほうが相応しいでしょう。その未来都市に2年間駐在し、昨年末帰国しましたが、カルチャーショックの連続でした。その話を2回に分けて紹介しましょう。

まず、40年前、深センは人口3万人の漁村でした。それが、今や1,500万人の世界都市です。一体何があったのか。それは、1980年に中国で最初の経済特区に指定されたことがスタートでした。新たな機会を求めて外部からの移住が始まり、またたく間に一大移民都市となります。お陰で、広東省にありながら広東語が通じにくいという奇妙な特徴があります。移住してきたのはほとんどが若者で、住民の平均年齢は現在32歳と、非常に若い都市。それだけに、ハイテク・ベンチャー企業が多いのも大きな特徴です。

市の中心部、福田区の一角に華強北(ファーチャンペイ)という地区があります。東京の秋葉原を真似て作ったとのことですが、今ではその何十倍もある世界最大の電子商店街に発展しました。ドローンでは世界の7割のシェアをもつDJI、携帯電話で急成長した、今話題の華為(ファーウェイ)、EVで世界最大手のBYD、更には中国最大のIT企業、テンセントなどは、この華強北での勝ち組。今は、UBEオフィスのある南山区の中心部に新しく出来た「深セン湾創業広場」に本社を構えています。彼らは今では「深センブランド」の大企業。深センが「アジアのシリコンバレー」と呼ばれるゆえんです。(つづく)。